ドラクエの「勇者行為」とは? タンスを開ける「いたずら心」の正体
RPGゲーム冒険の途中、新たな町や村、あるいは城に到着したとき、あなたはまず何をしますか?
次のシナリオを進めるためのイベントを探すでしょうか。それとも武器屋や防具屋で装備品を確認しますか。
王様への挨拶、重要人物への聞き込み……確かにどれも正解です。
しかし、多くのプレイヤーにとっての「最初の行動」は、実はもっと別のところにあるはずです。
とりあえず手近な民家に押し入り、NPCに話しかけつつ、ツボを割り、タンスを開け、引き出しを調べる…。
そう、「アイテム探索」です。
探索が好きな人や完璧主義に近い人は、くまなく調べることでしょう。
冷静に考えれば、この行為は現実世界では完全にアウトです。無断侵入、器物損壊、窃盗。状況次第では即通報案件でしょう。
なぜ私たちは、罪悪感を覚えつつも泥棒まがいの探索をやめられないのでしょうか?
そして、なぜ制作側はこの理不尽な振る舞いを許しているのでしょうか?
本記事では、現代の配信者たちが見せる葛藤や、生みの親である堀井雄二氏の言葉を紐解きながら、ドラクエ最大の謎とも言える「勇者行為」の真相に迫ります。
目次
勇者行為とは何か
ドラゴンクエストにおける「勇者行為」とは、本来は「世界を救う行為」を指し得る言葉です。
しかし、ファンの間やネットスラングとして用いられる場合は意味合いが変わり、「勇者が冒険の途中で行う、常識的に考えると犯罪まがいの行動」を皮肉って指す言葉として使われることが圧倒的に多いです。
この言葉は、実況配信やプレイ動画の文脈で特に定着しました。町や村に着いた主人公が、民家に入り、タンスを調べたり、壺やタルを割ったりする。
こうした行動はシリーズの探索要素としておなじみで、ゲームを進めていくうえでも大切です。一方で現実の倫理観に照らすと、「他人の家に勝手に入る」「私物を壊す」「引き出しを漁る」といった振る舞いは、英雄像と真っ向から矛盾します。
このギャップが視聴者やプレイヤーの笑いどころになり、ユーモアとして「勇者行為」と呼ばれるようになりました。
勇者の四大悪行?
ここでは、いわゆる「勇者行為」を象徴する“悪行”を4つに整理して紹介します。もちろん、ゲームとしての作法を現実の犯罪になぞらえて笑うネタであり、真面目な糾弾ではありません。
家宅侵入(不法侵入)
面識のない町や村の民家に、挨拶もなく土足で上がり込む行為です。昼夜を問わず家の中へ入り、場合によっては寝室まで踏み込んでしまうこともあります。鍵がかかっていることもありますが、「とうぞくのかぎ」などで開けて侵入できてしまうこともあり、倫理的にはなかなかの所業です。にもかかわらず住人は怒るどころか、平然と世間話を始めたり「ようこそ」と歓迎したりします。この不自然な寛容さも含めて、ネタとして完成しています。
器物損壊
民家に置かれているタルやツボを、「中にアイテムがあるかもしれない」という理由だけで破壊する行為です。割る・壊すことに躊躇がなく、探索という名目で破壊活動を正当化しているようにも見えます。さらに、画面を切り替えると壺やタルが一瞬で元に戻る仕様のおかげで証拠隠滅まで完璧です。住人は目の前で家財が壊されても反応せず、無音のまま日常が続きます。
ちなみにだが、ツボやタルを割る(破壊する)ようになったのはPS版ドラクエ7以降の作品。
窃盗(空き巣)
タンス、宝箱、壁に掛かった袋などを勝手に開け、中身を持ち去る行為です。「ちいさなメダル」や「やくそう」などを入手できますが、状況だけ見れば完全に泥棒です。ゴールドに至っては「それ、住人のへそくりでは?」と疑いたくなる場面もあります。それでも住人はニコニコしていることが多く、盗まれているはずなのに成立してしまう世界観が、笑いとして語られ続ける理由になっています。
落とし物の持ち去り
町やダンジョンの床、またはフィールドに落ちているアイテムを拾い、そのまま自分のものにしてしまう行為です。ゲーム上は「見つけた」「手に入れた」と表示されるだけで、持ち主の探索や届け出といった手続きは存在しません。現実の感覚で見れば、持ち主不明の物を無断で取得している状態であり、ネタとしては「遺失物等横領」に相当する振る舞いだと言えます。
RPGの基本要素として考えると、この行動は「ドラクエ特有の文化」と片付けてしまうのは少し早いかもしれません。
たしかに“勇者”と聞いて真っ先に思い浮かぶのはドラゴンクエストですが、ちょっと待ってください。
「勝手に民家へ入り、調べてアイテムを入手する」という行為そのものは、ドラクエに限った話ではありません。『テイルズ オブ』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズ、『ポケットモンスター』シリーズなど、数多くのRPGで共通して見られる、いわば“お約束”に近い基本要素です。
あっ『ゼルダの伝説シリーズ』でもそうですね。ツボ割るし笑
では、なぜ多くのRPGで「アイテムを入手できる仕組み」が当たり前のように用意されているのでしょうか。ここからは、ゲームデザイナーにとって勇者行為の必要性を紐解き、その理由をゲーム設計の観点から考察していきます。
考察1:NPCキャラとの関連
●「アイテム」は会話への招待状
なぜ、わざわざ人の家の中に「アイテム」を隠すのでしょうか?
もし家の中に何もなく、ただ住人が立っているだけなら、多くのプレイヤーは「重要そうな建物」以外をスルーして先を急いでしまうでしょう。
しかし、そこにタンスやツボがあることで、私たちは「アイテムがあるかもしれない」という下心で家に入ります。すると、否が応でもそこに住むNPCと顔を合わせ、会話をする状況が生まれます。これが、開発者が仕掛けた巧妙な導線です。
こういった冒険の重要なヒントや世界観の深掘りは、強制的なイベントで見せられるよりも、「アイテム探しのついで」に聞いた話の方が、プレイヤーの記憶に自然に残ります。
つまり、あのタンスの中身は、プレイヤーを物語の世界に引き込むための「巧妙な撒き餌」であり、開発者からの「この住人の話も聞いてやってくれ」という招待状のようなのかもしれません。
考察2:探索の動機づけ
●「町」をただの休憩所にしないための仕掛け
RPGにおいて、ダンジョンは「戦闘」と「宝箱」があるスリリングな冒険の場です。それに対して、町や村は本来、宿屋での回復や装備の購入を行う「休息の場」です。
しかし、それだけでは町は単なる「補給のための通過点」になってしまうでしょう。
武器と防具の店をみて、イベント探して、はい終わりです。
そこで機能するのが、タンスやツボによる「探索への動機づけ」です。
「この家のタンスには何か入っているかもしれない」という期待感が、プレイヤーを町の隅々まで歩かせます。もしこの要素がなければ、私たちは入口付近の道具屋と宿屋を往復するだけで、奥にある小さな民家や、裏路地の美しい風景に気づくことはなかったでしょう。
●「小さな報酬」が生む、持続的な好奇心
この探索を支えているのが、絶妙な報酬システムです。序盤の「やくそう」や「5ゴールド」は、ゲームが進めば取るに足らないものですが、始めたばかりの冒険者にとっては貴重な財産です。そして冒険が進めば、「ちいさなメダル」やレアな装備品など、報酬の質も上がっていきます。
- 「次は何があるかな?」という純粋な好奇心
- 「見逃したら損をするかも」というゲーマー心理
この2つを刺激し続けることで、プレイヤーは飽きることなく、新しい町に着くたびに探索を始めます。
近年の作品では、フィールド上の「キラキラ」や隠しスポットなど視覚的な誘導も加わりましたが、その根底にあるのは「探せば必ず何かがある」という、ドラクエが築き上げた信頼関係です。
●ダンジョンとは違う「平和な略奪(冒険)」
私たちがついタンスを開けてしまうもう一つの理由は、この探索が「安全な冒険」だからではないでしょうか。
ダンジョンの宝箱は、ミミック(罠モンスター)や強力な敵のリスクと隣り合わせです。しかし、町のタンスやツボには、基本的に危険はありません。
戦闘の緊張感から解放され、明るいBGMに耳を傾けながら、ノーリスクでアイテムを探し回る。この「町での軽い冒険(という名の略奪)」が、ダンジョン攻略で疲れたプレイヤーにとって、ほどよい息抜きと楽しみを提供しているのです。町を「ただの施設」から「冒険の一部」へと昇華させたのは、間違いなくこの勇者行為のおかげといえますね。
考察3:宝箱以外の魅力として
●宝箱だけでは味わえない「生活感」と「発見」
RPGの探索といえば「宝箱」が主役ですが、それだけでは冒険は味気ないものになってしまいます。
ダンジョンの宝箱には、強力な装備やレアアイテムが入っていることが多く、それは「大きな達成感」を与えてくれます。しかし、町にあるタンスやツボから出てくるのは、たいてい「5ゴールド」や「布の服」「キメラのつばさ」、あるいは「ステテコパンツ」といった、ささやかな生活用品が多いです。
●「小さな発見」が探索のリズムを作る
一見地味なこれらのアイテムですが、この「小さな発見」の積み重ねこそが、ドラクエの探索を飽きさせない重要なスパイスになっています。
もし全てのアイテムが仰々しい宝箱に入っていたら、町は不自然で単調な場所になってしまうでしょう。「人の家のタンス」という生活感あふれる場所からアイテムが出てくるからこそ、そこには宝箱にはない「リアリティのある宝探し」が生まれます。
●探索自体が「エンタメ」になる
また、タンスを開け、ツボを割るというアクションそのものが、ファンにとっては愛すべき「ゲームの味」です。
配信などで「勇者行為w」とコメントが盛り上がるのも、それが単なるアイテム回収作業ではなく、宝箱を開けるのとは一味違う、軽妙でツッコミどころのある体験だからこそ。
「何かあるかも?」という期待感と共に、他人の生活空間を覗き見る(そして少しだけ拝借する)。この背徳感と親しみやすさが同居した探索こそが、ドラクエ独自の魅力なのです。
考察4:そもそもの世界観説
●もしも「不法侵入」という概念がない世界だったら?
ここまでは「ゲームの都合」として考察してきましたが、視点を変えてみましょう。もし、「そもそもあの世界では、それが当たり前の文化だとしたら?」
ドラクエの世界は、私たちが住む現代日本とは常識が根本的に異なる可能性があります。
例えば、現実の日本でも田舎の一部地域では、「近所の人が鍵のかかっていない家に勝手に上がり込み、お茶を飲んでくつろいでいる」という話を聞くことがあります(『サザエさん』のノリスケや、芸人のはなわさんのエピソードなどが有名ですね)。
ドラクエの世界も同様に、国を問わず「旅人が他人の家に上がり込むこと」に対して、非常に寛容な文化が根付いているのかもしれません。
●「勇者税」の代わり? 独自の支援システム説
さらに、あの世界は常に魔王の脅威に晒されています。そのため、「魔物と戦う者(勇者)に対しては、民衆が物資を無償で提供する」という社会的な合意形成、あるいは習慣が存在している可能性は十分にあります。
わざわざ手渡しで寄付をするのは手間ですが、「勇者様なら、家にあるものは勝手に持って行っていいよ」というセルフサービス形式の援助だとすれば、タンス漁りも立派な「補給活動」になります。
●ツボは「割られるためにある」?
では、器物損壊にあたる「ツボ割り」はどうでしょうか? さすがに破壊活動はやりすぎに思えます。
しかし、これも逆転の発想で考えてみましょう。もし、あの世界のツボやタルが、最初から「勇者への援助物資を入れておくための、開封(破壊)前提の容器」だとしたら?
現実世界の缶詰や段ボールを開けるような感覚で、あの世界の住人は「さあ、割って持って行ってくれ!」とツボを用意しているのかもしれません。
そう考えれば、自分の家のツボを粉々にされても住人がニコニコしている理由にも説明がつきます。「世界が変われば常識も変わる」。私たちが異常だと感じる勇者行為は、あの世界では最も効率的な助け合いの形なのかもしれません。
考察5:「省略」説
●「描かれない時間」があるだけ? 映画的な省略
映画やドラマで、主人公がトイレに行くシーンや、移動のすべてを映さないのと同じ理屈です。
もしかすると、画面には映っていませんが、勇者は家に入るたびに「こんにちは!失礼します!」とか「魔王討伐の旅をしている者ですが、家の中を調べてもよろしいですか?」と丁寧に許可を取り、住人も「どうぞどうぞ、世界のためにお使いください」と快諾しているのかもしれません。
しかし、数百回も繰り返されるそのやり取りを毎回ゲーム内で表示していたら、テンポが悪くて仕方がありません。
つまり、私たちは「許可取りのシーンがカットされた、ダイジェスト版の冒険」をプレイしているという説です。こう考えれば、勇者は礼儀正しい紳士のままです。
●「怒られる」と冒険できなくなる(ゲームデザインの都合)
ここからは少し真面目な「大人の事情」の話です。
もし、タンスを開けるたびに「おい!勝手に開けるな!」と住人に怒られたらどうなるでしょうか?
プレイヤーは不快感を覚え、「怒られるくらいなら探索はやめておこう」と萎縮してしまうでしょう。
ドラクエは「マップの隅々まで探索すること」を遊びの核の一つにしています。
「探索の自由度」と「冒険のテンポ」を守るためには、あえてリアリティ(住人の反応)を犠牲にしてでも、ノイズを排除する必要があったのです。
●開発リソースと「伝統」
また、開発側の視点で見ても、すべての家のすべてのタンスに対して、住人のリアクション(専用のセリフや動き)を作るのは、膨大な労力とデータ容量を必要とします。特に容量制限の厳しかったファミコン時代の名残が、そのまま「シリーズの伝統」として定着した側面も大きいでしょう。
●「罪悪感」はいらない
ドラクエは、プレイヤーが「正義の勇者」になりきるゲームです。
そこで「泥棒!」と罵倒されてしまうと、プレイヤーは「自分は悪いことをしている」と感じ、没入感が削がれてしまいます。
現実の倫理観をあえて持ち込まず、「これはゲームだから」という暗黙の了解の中で、純粋に冒険を楽しんでもらう。NPCが無反応なのは、プレイヤーに余計な罪悪感を抱かせないための、開発者からの配慮なのかもしれません。
「勇者行為」はいつから言われだした? ~ネット黎明期からの愛されネタ~
ファミコン時代から『ドラゴンクエスト』をプレイしてきた古参の冒険者たちにとって、タンスを漁り、ツボを割るという行動は、あまりにも当たり前の「RPGのお約束」でした。そこに疑問を抱くことすら野暮であり、一種の呼吸のように自然なプレイの一部として受け入れられていました。
しかし、インターネットが普及し、個人が自由にゲームへのツッコミを発信できるようになると、この「お約束」が持つシュールさが面白おかしく語られるようになります。
「人の家に勝手に入っていいのか?」
「勇者だから何でも許されるのか?」
そんな素朴な疑問から、「勇者の特権」といった言葉が生まれ、掲示板やSNSで「ドラクエあるある」として共有されるようになりました。
そして、この一連の行動を指して「勇者行為」という特定のフレーズが定着し始めたのは、意外にも最近のことです。
インターネット上での観測によると、この言葉が頻繁に使われ始めたのは2023年頃からと見られています。主にYouTubeなどのゲーム実況・配信界隈で、配信者がタンスを開ける瞬間にコメント欄で「出た、勇者行為w」「これは勇者行為ですね」とイジる文化が広まり、一つのネットスラングとして確立されました。
当初は、プレイヤー間のジョークや「あるあるネタ」として、温かく、ユーモラスに受け止められていたこの言葉。しかし、言葉が広まるにつれて、すべてが笑いとして消化されるわけではなくなってきました。
一部のプレイヤーや視聴者からは、「ゲームとはいえ、人の物を盗むのはおかしいのではないか」「教育上良くない」といった、倫理的な疑問の声も上がり始めています。リアルなグラフィックになったことで、行為の生々しさが増したことも要因の一つかもしれません。
確かに、現実の法律に照らし合わせれば立派な犯罪です。しかし、筆者としては、そこまで目くじらを立てるのは「考えすぎ」ではないかと思うのです。
もしゲーム内の倫理を厳密に問うのであれば、FPS(シューティングゲーム)や戦争ゲームで「人をあやめる行為」のほうが、よほど倫理的に問われるべき問題でしょう。それに比べれば、勇者のタンス漁りなど可愛いものです。
これはあくまでファンタジーの中の「遊び」であり、開発者とプレイヤーの間で結ばれた「共犯関係」のようなもの。そこに現実の厳格な物差しを持ち込むよりも、「また勇者が変なことしてるな」と笑って楽しむほうが、精神衛生上も、そしてゲーム体験としても豊かではないでしょうか。
「まことの ゆうしゃなら ぬすみなど せぬはずだ。」
ドラクエを泥棒推進ゲームと思っている人は多いでしょうが、案外そうでもないことがDQ1宝物庫の兵士の上記セリフによって明らかになっています。
キャラクター性と「勇者行為」の化学反応
かつては一人で黙々と行っていた「タンス漁り」ですが、YouTubeなどの配信プラットフォームを通じて多くの視聴者と共有されるようになると、その光景は一変しました。
画面の向こうの配信者がタンスを開けるたびに、コメント欄が「これは勇者」「現行犯!」と盛り上がる。この一体感によって、勇者行為のシュールさが改めて浮き彫りになり、エンターテインメントとして再発見されたのです。
特に近年、爆発的な人気を博しているのが、「配信者のキャラクター性」と「勇者行為」が引き起こす化学反応です。
「VTuber(バーチャルYouTuber)」の配信において、ゲームプレイの腕前以上に重要なのが、その配信者が持つ「キャラクター設定(ロールプレイ)」と「トーク」です。
本来のキャラ設定と、ゲームシステム上どうしてもやらざるを得ない「泥棒行為」との間に生まれる強烈なギャップ。これを配信者自身がネタにし、視聴者がツッコミを入れることで、単なるゲーム実況を超えた独自のドラマが生まれます。
「勇者行為」というネットミームは、このVTuber文化と非常に相性が良く、配信者ごとの個性を際立たせる「舞台装置」として機能しているのです。
ここでは、その代表的な例として、対照的な魅力を持つ2名のVTuberを紹介しましょう。
【秩序】警察官なのに泥棒? 栞葉るり(にじさんじ)の例
まず挙げられるのが、「犬のおまわりさん」として活動するにじさんじのVTuber・栞葉るりさんのケースです。
彼女は普段、「法と秩序」を重んじる警察官キャラクターとして振る舞っています。本来であれば、不法侵入や窃盗を取り締まる側の立場です。
しかし、『ドラクエ11』の実況では、ゲームを進めるために断腸の思いで民家のタンスを開けることになります。「警察官が泥棒の真似事をする」という、この強烈な皮肉(ギャップ)こそが、配信において大きな笑いを生むポイントです。
彼女も最初こそ「そんなつもりじゃなかったんです」と必死に釈明していましたが、数々の家宅捜索?を経て、ついには「今さら罪重ねても変わらん」と完全に開き直る始末。
高潔な警察官ですら「悪」に染めてしまう、ドラクエの魔力が垣間見える好例と言えるでしょう。

栞葉るりの発言
「若い…わんぱくな若者だからしかたない……」
「50ゴールドを手に入れた。…え、これこの家の備蓄だったんじゃ…」
「そんなつもりはなかったんです」
「あぁそんなつもりじゃ……あぁそんなつもりじゃ……あぁそんなつもりじゃぁぁぁ……はい!行きましょうか!」
「ま、今さらいくつ罪重ねたところで変わんないですよね」
チャットコメント
「こいつおまわりさんです」
「もしもしポリスメン?」
「勇者だから無罪」
「ぬすっとドッグ」
「器物損壊犬」
「るりは2犯」
【混沌】勇者の本音を代弁! 兎田ぺこら(ホロライブ)の例
一方で、プレイヤーが心の奥底に隠している「強欲な本音」を一切隠そうとしないのが、ホロライブの兎田ぺこらさんです。
もともと負けず嫌いで、利益に敏感なプレイスタイルが持ち味の彼女。その姿勢はドラクエの世界でも遺憾なく発揮されます。
鍵のかかった扉や宝箱に対しては、「開けろや王様!」「勇者ぺこーらだぞ!」と恫喝(どうかつ)まがいの発言を連発し、「勇者特権」を最大限に行使。
「世界を救ってやる対価」として、堂々と民家から略奪していくその姿は、批判を通り越して「いっそ清々しい」「これぞ人間味あふれる勇者」として、多くの視聴者に愛されています。

兎田ぺこらの発言
「まずはここの城の宝箱をすべて開けさせてもらいたいと思います」
「どっかに宝箱はないか」
「なんかアイテムないかな~城に~♪」
「すべてのアイテムをぺこーらのものに……」
「旅に出たいのにさぁ、探索するのがおもろすぎて」
「(宝物庫の扉の前で)おい、開けろや王様!!」
「勇者なんだからさモノはちょっと貰っとかないとでしょ?なんも悪いことぺこらしてない」
チャットコメント
「盗賊やん」
「強欲兎」
「まずは勇者行為から」
「略奪者ぺこーら」
「ロトよりカンダタじゃねーかw」
「勇者じゃなくて盗賊で草」
このように、真面目な警察官を悪に染め、強欲な者をより輝かせる。「勇者行為」という文化は、VTuberそれぞれの個性を引き出し、配信のエンターテインメント性を高める重要なスパイスになっていることがわかります。
堀井雄二氏の「いたずら心」と「背徳感」
ここまで、ファンや配信者たちが「勇者行為」をどう楽しんできたかを見てきましたが、実はこれには明確な「意図」があったことが、作り手たちの言葉から明らかになっています。
そのヒントとなるのが、「ファミ通.com」に掲載された、『ファイナルファンタジー』の生みの親である坂口博信氏と、『ドラゴンクエスト』の生みの親・堀井雄二氏による、レジェンド同士の対談記事です。
坂口
僕がいちばん『DQ』らしさを感じるポイントは、堀井さんのシナリオです。それこそ、ちょっとした会話やメッセージ、仕掛けから、堀井さんのいたずら心を感じます。みんな誰かの家に入ったりしたら、まずはタンスを探すでしょう? 宝箱も探って、取りこぼしがないか確認してから話を進める。この順番から生まれる背徳感が大好きです。だから、開かない宝箱や入れない家があると、すごくくやしくなる(笑)。
堀井
夜にしか開いていないお店もあったり、夜にならないと取れないものがあったり……。坂口
そうなんですよ。堀井さんはきっと「こんなものがあったらプレイヤーはこうしたくなるよな」と、プレイヤーの欲を読んでいて、ニヤッと笑いながらいたずらを仕掛けていると思います。堀井
やっぱりゲームくらいは、やっちゃいけないことがやれてもいいと思うんですよね。僕は人の家に行くと、理由はわからないのですが冷蔵庫を開けたくなるんですよ(笑)。学生時代は友人の家に行くと「何が入っているの?」と開けちゃっていました。さすがにいまはしていませんよ(笑)。
(出典:ファミ通.com)
https://www.famitsu.com/article/202412/27083
この対談の中で、坂口氏はプレイヤーがタンスを探る際に感じる「背徳感」を絶賛しています。そして、それに対する堀井氏の回答は、あまりにも人間味にあふれたものでした。
「人の家の冷蔵庫を開けたくなる」
なんと、ドラクエのタンス漁りのルーツには、堀井氏自身が学生時代に抱いていた「他人の生活を覗き見たい」という、純粋でちょっぴり危険な好奇心があったのです。
現実世界で友人の家の冷蔵庫を勝手に開ければ、嫌がられるか、最悪の場合絶交されてしまうでしょう。しかし、堀井氏は「ゲームくらいは、やっちゃいけないことがやれてもいい」という哲学の下、そのタブーをあえてシステムとして実装しました。
つまり、あのタンスやツボは、プレイヤーの「隠されたものを見つけたい」という欲求や、「悪いことをしてみたい」といういたずら心に応えるために、意図的に用意された遊び場だったのです。
現実ではマナー違反として封印しなければならない好奇心を、ゲームの中なら解放してもいい。
「勇者行為」とは、単なる略奪ではなく、堀井氏からプレイヤーへ贈られた「自由への招待状」であり、一種の優しさのデザインだったと言えるのではないでしょうか。
「勇者行為」の公式ネタ化
これまで暗黙の了解だった「勇者行為」ですが、近年では開発側もこの矛盾を認識し、あえてネタにするような遊び心が見られます。
ここでは、開発側が「勇者行為」をファン文化として認識し、ユーモラスに応答している例を見てみましょう。
●公式による「メタ的なジョーク」
『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』では、特定の民家でタンスを調べると、近くのNPCが軽い反応をすることがあります。これらは深刻な非難ではなく、ユーモラスなツッコミとして設計されています。
例えば、デルカダール城下町の民家での一幕。
あるタンスを開けると、なんと色っぽい装備品である「あみタイツ」が手に入るのですが、それに反応するNPCが近くにいるおばあさんなのです。
タンスを開けると
「あらやだ はずかしいわ!」
と吹き出しが出るのです。

(ばあさん、あんたのかよ!)
と思わず画面に向かってツッコミを入れたプレイヤーも多いことでしょう。
また同じく、デルカダール城下町の別の民家では、こんな皮肉たっぷりの言葉をかけられます。
「おや 旅人さんかい?
人の家に ずけずけ入ってくるなんて
アンタ 大物になるよ。」

褒めているようで、しっかりと「不法侵入」をイジられています。
●伝説の始まりでも「イジり」は忘れない
さらに、HD-2D版『ドラゴンクエストIII リメイク』では、アリアハンにいる兵士から、さらに痛烈なセリフを聞くことができます。
「バコタ という ドロボウは
人の家の タンスや クローゼットから
モノを 盗んでいたそうだ。」
「まったく とんでもないヤツさ。
キミのような しっかりした若者を
見習って欲しいものだよ。」

このセリフを聞いた瞬間、プレイヤーは気まずさと共にニヤリとしたはずです。なぜなら、その直前に自分たちもさまざまな場所でタンスを漁りまくっているからです。
「見習ってほしい」と言われる「しっかりした若者」こそが、実は一番の常習犯であるという強烈なアイロニー(皮肉)になっています。
●開発からの「ウインク」
こういった反応は、間違いなくファンコミュニティの「勇者行為」ネタを意識した遊び心でしょう。
開発元のスクウェア・エニックス(特に堀井雄二氏やスタッフ)は、シリーズの伝統やファン文化を大切にしています。こうした軽い反応を追加することで、プレイヤーに「開発もネタを分かってるよ」と伝えているのです。
このような演出は、批判層の「NPCが無反応すぎる」という不満に応えつつ、ゲームの軽快な雰囲気を損なわずに、探索の楽しさを維持することに成功しています。
公式側が「勇者行為」の理不尽さを理解した上で、「現実の倫理観とは違うけど、伝統的なお約束として楽しんでね」とプレイヤーにウインクを送っている。これこそが、ドラクエが長く愛される理由の一つなのかもしれません。
「勇者ヨシヒコ」が描いた“真実”
ゲーム内での公式なネタ化だけでなく、外部作品でもこの「勇者行為」は見事に取り入れられています。その代表例が、テレビ東京系「ドラマ24」で放送された、山田孝之氏主演の『勇者ヨシヒコ』シリーズです。
このドラマはドラクエへの愛あるパロディで満たされていますが、中でも「勇者行為」に対するツッコミは秀逸です。
本来ならスルーされる「勇者が堂々と他人の家で物色する」という非現実的な行動を、あえて実写でリアルに描く。そうすることで、この「システム上の矛盾」を痛烈な皮肉と爆笑に変えています。ファンに「あるある!」と共感させつつ、同時に「よく考えたらおかしい」という事実をコントのようなテンポで突きつけた、伝説のシーンを紹介しましょう。
特に有名なシーンが『勇者ヨシヒコと魔王の城(第5話)』の「オイッスの村」での探索シーンです。
民家に上がり込んだヨシヒコたちは、当然のようにタンスを開け、タルを割り、中から出てきた「ちいさなメダルらしきもの」を懐に入れ、さらに「ちからのたね(どう見てもピーナッツ)」をその場でポリポリと食べてしまいます。
「普通お前が食べるものだ」「なんとなく力が一段階上がった気がします」と、ゲーム的な会話を真顔で繰り広げながら、住人の目の前で破壊活動を続ける一行。
しかし、最後のツボを割った瞬間、住人(イガルヤ)からメガホンのようなもので頭を叩かれ、怒号が飛びます。
「何してんだ人の家で!!」
ヨシヒコは心底驚いた顔で「えっ!?」と声を上げますが、視聴者は全員イガルヤに同意したはずです。
ゲームの中ではスルーされる行動も、実写で見ると「ただの強盗集団」にしか見えない。このシーンは、私たちが普段ゲームの中で行っていることの狂気を、笑いと共に突きつけました。

<(引き出しを漁るヨシヒコ)>
メレブ
「何もないかー」
ヨシヒコ
「なにもないですね」
<(タルを割るヨシヒコ)>
ダンジョー
「おおっそこに何か」
ヨシヒコ
「これは・・・」
<(タルの中からメダルが)>
メレブ
「とりあえずもらっとけ」
ヨシヒコ
「はい」
<(ツボを割りだすヨシヒコ)>
ムラサキ
「それなにー?」
<(何かの種のようなものを入手)※あきらかにピーナッツ>
メレブ
「それはおそらく、ちからのたねだな」
ヨシヒコ
「ちからのたね・・・」
メレブ
「食べればなんとなく力がつく」
ヨシヒコ
「私、食べていいですか?」
メレブ
「うん。普通お前が食べるものだ」
ヨシヒコ
「いただきます」
ダンジョー
「チカラ、出たか?」
ヨシヒコ
「はい。なんとなく・・・力が一段階上がったような気がします」
ムラサキ
「ちょっとー 目当ては無敵の靴でしょー?」
ヨシヒコ
「そのとおりだ」
<(そして最後の壺を割るヨシヒコ)>
<(ここでイガルヤからツッコまれる)>
イガルヤ
「何してんだ人の家で!!」
ヨシヒコ
「えっっ!?」
「エフエフの村」でのカルチャーショック
また、『勇者ヨシヒコと導かれし七人(第3話)』で訪れた「エフエフの村(ファイナルファンタジー風の世界)」では、RPGごとの「文化(常識)の違い」が生む悲劇(?)が描かれています。
金髪のイケメン戦士ヴァリー(城田優)が、真面目に反乱軍の作戦を説明している最中のことです。ヨシヒコはいつもの手癖で、躊躇なく「パリーン!」とツボを割ってしまいます。
驚愕するヴァリーに対し、ヨシヒコは「いや…割るものなので」「調べないといけないので」とドラクエの常識で弁明しますが、「えっ何してんの?なんで割ったの?壺」「割らずに調べればいいじゃない」と、ぐうの音も出ない正論で返されてしまいます。
さらに、懲りずにタルを破壊し、タンスを漁って「アーシュの下着を手に入れた!」と高らかに宣言するヨシヒコ。
「開けないで!」「手に入れないで!戻して!」と必死に止めるヴァリーの姿は、泥臭い探索(破壊活動)を是とする「ドラクエ流」が、スタイリッシュな「FF流」の世界では単なる「野蛮な奇行」でしかないことを浮き彫りにしました。
このシーンは、第1シーズン第5話「オイッスの村」と同様にドラクエ的な行動へのツッコミを描きつつ、さらに「ドラクエ」と「FF」という二大RPGの世界観の対比を加えたことで、「RPGによって常識が違う」というメタ的な視点を笑いに変えた名シーンとして語り継がれています。

ヴァリー
「よし。説明しよう。我々は反乱軍だ。この国を悪政・・・」
<(ヨシヒコ、ツボをパリーンを割る)>
ヴァリー
「えっ!?」
「何してんの?なんで割ったのツボ」
ヨシヒコ
「いや・・・割るものなので」
ヴァリー
「割るものって何?いやツボは割るものじゃないでしょ」
ヨシヒコ
「調べないといけないので中を・・・」
ヴァリー
「いや割らずに調べればいいじゃない」
ヨシヒコ
「あぁ・・・」
ヴァリー
「・・・よし。説明しよう。我々は反乱軍だ・・・」
<(ガシャーンとタルを壊すヨシヒコ)>
ヴァリー
「あれ~?あれあれあれ?」
「なんで割ったの?タル」
「なんで?タル」
ヨシヒコ
「調べないと・・・」
ヴァリー
「いや開けて調べればいいじゃない」
ヨシヒコ
「あぁ・・・」
ヴァリー
「・・・よし。説明しよう。我々は反乱軍・・・」
ヴァリー
「開けないで!」
「人の家の引き出し勝手に開けないで!」
ヨシヒコ
「アーシュの下着を手に入れた!」
ヴァリー
「手に入れないで!戻して!手に入れないの!」
アーシュ
「や~だ~」
公式の自虐ネタや、こうしたパロディ作品の成功は、「勇者行為」がもはや単なるゲームシステムを超え、多くの人々に愛される「共通言語」になったことの証明と言えるでしょう。
油断大敵! 本当に捕まってしまった「ガーデンブルグ事件」
ここまで「勇者行為は基本的にスルーされる」と解説してきましたが、シリーズの歴史の中には、このプレイヤーの習慣(手癖)を逆手に取った、恐るべき罠が存在しました。
それが『ドラゴンクエストIV』の「ガーデンブルグ城」での冤罪(えんざい)事件です。
ある人物にそそのかされ、いつものようにタンスを調べた主人公たち。しかしその瞬間、部屋の主が戻ってきて泥棒扱いされ、そのまま牢屋へ……。
普段なら「ちいさなメダル」が出てくるはずの楽しい探索が、一瞬にして「犯罪現場」へと変わる衝撃的な展開です。
このイベントは、プレイヤーの「タンスを見たら開ける」という無意識の行動を逆手に取り、「勇者行為も状況によっては捕まる」というリスクを突きつけました。
開発者との心理戦に負け、牢屋の中で「やっぱり人の家のタンスを勝手に開けてはいけない」と反省したプレイヤーも多かったのではないでしょうか。
まあ・・・その後、すぐに忘れてまた開けるのですけどね笑
まとめ:それでも私たちは、タンスを開け続ける
こうして振り返ってみると、「勇者行為」は単なるゲームシステムの都合や、開発の「手抜き」などではないことが分かります。
それは、開発者である堀井雄二氏の「いたずら心」から生まれ、プレイヤーの「好奇心」によって育まれ、そして時代の変化と共にネタとして愛されるようになった、『ドラゴンクエスト』という文化の一部なのです。
現実の倫理観に照らし合わせれば、確かに褒められた行為ではありません。しかし、批判的な意見も、公式による自虐的なネタ化も、すべてはこの「勇者行為」がプレイヤーの心に強く刻まれている証拠と言えるでしょう。
だからこそ、私たちは次の冒険でもきっと、新しい町に着いた瞬間に走り出すはずです。
挨拶もそこそこに、誰かの家のタンスや引き出しを、キラキラした目で開けるために。
「何かあるかな?」という、ワクワクと共に。
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